今週のメッセージ
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Message
本日の礼拝説教要旨
[ 新しい契約 ] マタイの福音書26章17-9節
コリント人への手紙第Ⅰ11章23-29節
岸本 望 牧師
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。
これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
コリント人への手紙第Ⅰ11章25節
受難節に当たり、最後の晩餐すなわち聖餐について考えます。
1.渡される夜(23)
聖餐は「渡される夜(Ⅰコリント11:23)」、すなわちユダがイエスを裏切った
夜に定められたと福音書は記します。それは、私たち人間の弱さ、偽り、悪意
に満ちた心の闇を指しています。聖餐のパンと杯は、私たちの心の闇、魂の現
実に向けて差し出されているのです。このことを自覚し罪を告白して、主の赦
しを求めるもの、悔い改めた者に救いが実現する「新しい契約」なのです。
ですから、洗礼を受けた者に限定されているのです。
2.新しい契約(25)
聖餐は「新しい契約」と呼ばれます。主イエスは、「とって食べよ、この杯から飲
め」(マタイ26:26-27)と、ご自身の身体を私たちに差し出していて下さいま
した。それはパンと葡萄酒が体を強め養うように、主イエスご自身が私たちの
いのちとなり、力となって新しい命に生かして下さる「新しい契約」のしるしな
のです。キリストを信じると言うことは、彼のいのちに生かされ、彼の似姿に
似た者とされて行くことです。
3.あなたがたのため(24)
聖餐は、「これはあなたがたのため」(24)と複数形で記されています。キリ
スト信仰は、ひとりよがりな信仰ではなく、一つの命に結ばれている信仰です。
聖餐の恵みにあずかる人々と共に、主のいのちに生かされている一つの体であ
ることを自覚するのです。
4.主の死を告げ知らせる。(26)
この聖餐にあずかるたびに「主が来られる時に至るまで、主の死を告げ知らせ
るのです。」(26)。ここに福音のもつ特別な意味を見出します。すなわち大い
なる希望です。聖餐にあずかる者は過去を記念するだけでなく、主が来られる
時を待ち望んでいるという希望を告白し、十字架と復活の福音を語り続けるの
です。