今週のメッセージ

Message

本日の礼拝説教要旨

『主の目に大きくなろう』 ヨブ記38章1-7節、マルコ10章32-45節
                             足立 宏牧師

受難の予告のすぐ後に、苦難の主とは全く対照的な弟子の現状をうかがえます。ゼベダイの2人の子は、主のエルサレム行きが世の栄光の内に終わると期待していたでしょう。まず自分たちを王座の右と左に座らせて下さいと頼みに来ました。
2人は主が言われる通り、「自分が何を求めているのか、わかっていないのです。エルサレムで御子イエスがつく栄光の座は、十字架です。それを主は「私の飲もうとする杯」(38)と表現されました。旧約聖書で「杯」は、人間の罪に対する神の怒りと裁きを意味することが多いのです。ここでイエスは、罪に対する神の裁きを代わって背負う意味で、「私には飲む杯がある」と表現し、その使命を「バプテスマ」と呼ばれました。ヤコブとヨハネは、事の真義を理解していません。
 一方2人に出し抜かれたと思った10人の弟子は、腹を立てました。野心やプライドという世的な精神は根が深いものです。9章33節以来、仕える者になりなさい。小さい者につまずきを与えてはなりません。互いの和合して暮らしなさい。先の者が後になることが多のです、と繰り返し教えられても、まだ競い合い、いがみ合っている弟子たちでした。
†イエス様に、「私に何をしてほしいのですか」と尋ねられたら、
 あなたは何と答えますか?
†弟子とは、主の後をついて行くことを意味します。
 あなたは、何のためにイエス様の後についていくのでしょうか?




 


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  わたしたちは、まず聖書を神のことばと信じ、その聖書が伝えるイエス・キリストの十字架とその復活によって罪の赦しをあたえる完全な救い、聖霊のめぐみによる
潔められたクリスチャンとしての霊的、人格的成長をめざす教会です。統一教会・エホバの証人・モルモン教とは一切関係ありません。


  聖書本文は新改訳2017(©新日本聖書刊行会)を使用しております。