今週のメッセージ
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Message
本日の礼拝説教要旨
「選ばれた目的とは」
[神が正しいとする人] 足立宏牧師
詩篇30篇8-12節 ルカの福音書18章9-14節 23
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 ローマ人への手紙3章23-24節
律法によれば、ユダヤ人は年に一度、大いなる贖いの日に断食することが定められている(レビ16:29)。また穀物の収穫の十分の一ささげるよう定めがありました。(民数記18:21) 層であるのにこのパリサイ人は要求されている以上に、断食は週に2度もし、十分の一の献げものは、野菜そのほか全ての収穫について実行したのです。彼は、自分の全ての行為によって神の前に義とされようとするスピリットで生きてきました。
これに対して取税人は、神殿の建物からも、またこのパリサイ人からもはるかに離れて立ち、目を天に向けることもせず、胸を打ちつつ嘆いて祈りました。「神よ。こんな罪人の私を憐れんでください」と。 著しい対照です。前者は眉を上げて自分の義を誇り、後者は胸を打ちつつ、自分の罪の赦しを求めたのです。
イエス様は、取税人が、神によって義と認められたと宣言されています。パリサイ備置の問題は「ぎとみとめられる」ことに対する誤った考えにあります。この喩えは、神の憐れみを求めずに自己の義を主張したパリサイ人と、神の憐れみを信じ神による義を追い求めた取税人のメッセージです。 私たちは神の前でも人の前でも、そして祈りの中でも、主の憐れみを深く覚えて、歩みたいものです。
† 神に祈る時、十字架と復活のイエスさまをを仰いでいるでしょうか。